高橋真梨子の壮絶過去!母の不倫で父と別居し不仲。被爆の後遺症が理由。

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本格派の歌手の一人に
高橋真梨子さんは上げられるかと思います。

「はがゆい唇」や「ごめんね・・・」など多くのヒット曲を生み出し
ここ最近も連続で紅白歌合戦に出場している彼女の
生い立ちはけっこう壮絶なものでした。

画像引用:http://analogshinn.seesaa.net/article/391650303.html

両親

高橋さんは幼いころに
両親が別居するという
悲劇に見舞われてしまっています。

お父様の森岡月夫さんは広島鉄道局に勤務していて
お母さまの髙橋千鶴子さんはは広島市内の銀行に
勤めておりました。

しかし1945年8月6日に原子爆弾が投下されてしまい
2人は被爆。

お父様は後遺症に晩年まで悩まされることになり
さらには両足を壊疽で失うということもあったりしました。

モルヒネを使わないと痛みに耐えられない状況であり
お母さまは薬代や3人分の生活費を得るために
日々働き続けることになります。

しかし戦後間もない頃であり
みな生活に苦しく
収入もさほどない時代であったために
お母さまは精神的にもまいってきてしまうことになりました。

夫婦喧嘩は絶えず
別居の末離婚

真梨子さんが10歳のころでした。

お母さまは福岡県博多市内でバーをやりながら
真梨子さんを育てることになります。

母子家庭となり
大変ではありましたが
お母さまはまだまだ若く

男がいないさみしさに耐える余裕もなく
新たな男性と一緒になることになりますが
ただ相手の人は妻子がいる身。

つまり不倫になってしまいました。

お母さまは自分をかまってくれず
新しいお父様ともなじめずで
真梨子さんはさみしい子供時代を送らざるを
得なくなりました。

不倫と言うと悪いイメージがどーんと出てきますが
終戦直後という厳しい時代には
仕方がなかったところもあるかと思いますね。

真梨子さんはまだ子供で
お母さまの気持ちといったものあh
理解できなかったようで
長きにわたって恨んでいたといいます。

お父様は家族で移った博多を離れて
広島県に戻り
広島市内のクラブでジャズプレイヤーとして
働くことになりました。

ちなみに父親は
戦後に国鉄職員を辞めて
プロのジャズクラリネット奏者を目指して
福岡県にお母さまと映ったのですが
当時の福岡は米軍基地が多くジャズが盛んだったということもありました。

普通の仕事がしにくくなって
それならばやりたいことをやろうと
考えたのかもしれませんね。

真梨子さんは病院にいた父親から
ジャズを習い
そういう体験が真梨子さんの進路を決定させたところが
あるように感じます。

父親との思いでがあるジャズを選んだという面もあるでしょうが
そんな父を無慈悲に捨てたとおもっていた
母親にたいする仕返しという意味なんかも
あったのかもしれません。

過去のつらい経験は真梨子さんを大人になっても苦しめたようで
旦那さんにも最初はこういった体験を
話さなかったそうです。

しかし結婚して大人になってという過程を経て
自分の両親の苦しみを
わかってきたのかもしれません。

徐々に旦那さんに少女時代の体験といったものを話すように
なっていきました。

トーク番組なんかでも
その内容を明かしたりしています。
 
後に語っていたことですが
39歳という若さで亡くなったお父様を
支援できなかったことを悔やんでいて
そして今ではお母さまのことを
許しているといいます。
 
高橋真梨子さんの激やせの理由は病気が関係してるのか?
 
 

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