加藤登紀子は夫藤本敏夫と獄中結婚!子供は?学生運動やハイジャックに巻き込まれ・・・

加藤登紀子

百万本のバラ」など
多数の日本を代表する
ヒット曲を生み出した
加藤登紀子さん

実は東京大学文学部西洋史学科卒業という
才女でもあったりします。

歌のエリートコースを
歩んでいった彼女ですが
しかし人生はかなり波乱万丈で
壮絶過去を持っていたりしました。

画像引用:http://www.oricon.co.jp/news/2043265/photo/13/

生年月日は1943年12月27日で
旧満州ハルビン出身。

終戦後帰国し京都府で
育つことになります。

東京都立駒場高等学校から東大に。

1965年には在学中だったのですが
第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝

翌年には
誰も誰も知らない」でデビューを
果たしました。

そして
赤い風船」で
第8回日本レコード大賞新人賞受賞。

着実にキャリアを
積み重ねていくことになります。

 

家族

旦那さんは藤本敏夫さん

同志社大学文学部新聞学科中退という
経歴を持っていますが
在学中から
学生運動に参加することになります。

羽田闘争など有名な事件にも
関わることになりますが

1968年には逮捕されて収監

後には学生運動から離脱しますが
1972年には実刑判決を受けて
刑務所に入ることになります。

その年の5月6日には
2人は獄中結婚することになります。

加藤さんは
自分の歌手のキャリアを学生運動に
利用されるのを恐れて
一定の距離をとっていましたが

藤本さんと出会い
着実に愛をはぐくんでいました。

12月7日には長女の美亜子さんを出産。

1975年12月14日には
次女の八恵さん(歌手のYae)
出産しています。

藤本さんは
1976年に大地を守る会を設立し
農業を追及していくことになります。

有機農業をすることにより
加藤さんも協力することになります。

1980年には三女が生まれていますが
三女については
情報が
出回っていませんね。

1981年には家族で千葉県鴨川市嶺岡山中に移住し
農事組合法人自然生態農場「鴨川自然王国」を設立。

農林水産省にかかわるなどして
学生運動のころとは違った形で
国に貢献していくことになります。

2000年8月には
株式会社ナチュラルコミュニケーションズを設立し
代表取締役になったりしますが

2002年7月31日には肝臓ガンのため
58歳という若さでお亡くなりに
なってしまいます。

2人がこれほど
波乱万丈な人生を歩んでいたとは
知りませんでしたね。

ちなみに加藤さんは
1995年6月21日に起こった
函館空港の全日空857便ハイジャック事件
巻き込まれることになり
コンサートが中止になって
16時間監禁状態に
おかれることになりました。

この事件で活躍したのは
実は加藤さんのバックバンドのメンバーだったり
しますね。

全日空857便ハイジャック事件の犯人の現在。真相や動機

加藤さんも70年以上生きているわけですが
これほど事件に遭遇する70代の方は
それほどおられないことでしょう。

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