千石剛賢(イエス)をwikiる!経歴・嫁・子供やシオンの娘について

千石剛賢
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「イエスの方舟事件」

信仰集団「イエスの方舟」による
事件ということになっていますが
オウム真理教といったものとは
違っているところがあります

信仰という言葉があると
みんな悪いものに見えてしまう、
よろしくありませんね。

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画像引用:http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200711160197.html

主宰者である千石剛賢さん
経歴を簡単に見ていきましょう。

生年月日は1923年7月12日。
没年は2001年12月11日。

残念ながらすでにお亡くなりに
なっています。

出身地は兵庫県加西市。

実家は地元でもかなり裕福な家庭であると
知られていたそうです。

1943年には20歳になっていました。
当時は戦争の真っ最中。

海軍に入隊することになったのですが
終戦を迎えてしまい
軍も解体されることに
なってしまいました。

その後は自営業の刃物工場の経営をすることになるのですが
失敗。

てきややレストラン支配人など
職を転々とすることになってしまいます。

20代の時は喧嘩に明け暮れる日々を送り
そんななかでも教会に通うことに。

彼は自分の気の短い性格を把握しており
それが自分を破滅に導くのではないかと
常におびえていたそうです。

教会に通いつめていたのは
すがりたいという気持ちが
あったからなんですね。

一度結婚する者の離婚、
その後別の女性と再婚することになりますが
1952年に大阪で聖書研究会に参加、
1960年には奥様を含めその研究会会員10名と
東京都国分寺市に移動して
極東キリスト集会」を主宰し
共同生活に入ることになりました。

イエスの方舟」はこうして
出来上がることになります。
 
音無美紀子さんが宗教にはまった過去!

1975年頃に「イエスの方舟」と
名前を変更することになりました。

信者の多くは若い独身女性、
男性や既婚女性も少なからずいて
みんなで共同生活をするようになったのも
この頃になっていきます。

彼女たちは家庭に居場所を見いだせない
といった悩みを持っていて
千石氏のイエスの方舟に
救いを求めるようになったのです。

ただ、彼女たちの家族は
誘拐であると認識し
捜索願をだすことに。

マスコミはそれに乗っかって
一斉に「イエスの方舟」を
猛バッシングすることに。

千石氏に逮捕状がでることにもなりますが
彼が出頭したあとは任意の取り調べがあっただけで
書類送検はあったものの
逮捕されるまでには至らずに
終わります。

1978年から千石氏は信者26人と共に
全国を転々とするようになりますが
これは体調悪化で満足に布教活動が
できなかったからだといいますが
こうした行動がマスコミにも
つけ入られることになったのかもしれません。

1980年12月には
福岡の中洲に移ります。

そこで「シオンの娘」という
クラブを経営することになるのですが
いったん家庭に戻っていたほとんどの信者が
彼と共同生活を再開することになりました。

クラブであるので酒も提供するのですが
「教会」のように、
来客の悩みや人生相談に乗るなどの
布教活動みたいなこともしていました。

クラブという名の
教会みたいですね。

男性会員は千石さんと大工仕事をしていました。
クラブ事態はそれほど稼ぎがなく
大工仕事の収入で
クラブに勤めていた女性たちは
雇われる形になっていたようで
しかしお金があまりないときは

女性たちも外に働きに出ていたり
していたそうです。

1993年には古賀市に
「イエスの方舟会堂」を建設することに。

2001年12月11日には
千石さんは福岡市の病院で78歳で
お亡くなりになります。

 

家族

最初の奥様のことは
あまり知られていません。

この奥様との間には
長女と次女、
2人の娘さんが誕生しています。

この子供たちとは
活動を一緒にしていませんので
親権は奥様が持つことに
なったのではないかと思われます。

再婚して一緒に活動をしていくようになったのは
千石まさ子さん

彼女の間には三女の恵さん
そして長男の雄太さんが生まれました。

TKY200711160189

剛賢さんが亡くなったあとは
奥様が主幹を務めて
2人のお子さんが副主幹を務めるように
なりました。

あとは養女が何人か
存在しています。

 

シオンの娘の今現在

ちなみにこの「シオンの娘」は
今も福岡県に存在しています。

シオンの娘

ただ従業員はすべてが当時の信者というわけではなく
入れ替わったりしているようです。

新たな道を見つけたり
したのでしょうね。

新しく入った方は
このお店の過去といったものを
知らずに入ったのでしょうか。

相談を受けているうちに
従業員になったという
可能性もありますね。

千石さんを「おっちゃん」と呼んで
慕っていて方たち。

千石さんの遺言は
「仲良くすること」「健康に気をつけること」「聖書の研究を続けること」
といったことだといいます。

1番目、2番目は
一般社会に生活していると
なかなかできなかったりするもの。

それをできた共同生活は
みんなにとって楽しいものだったでしょうね。

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