諏訪貴子社長は夫と離婚し子供と離れた?出身大学は成蹊で日立が経歴に。ダイヤ精機で手腕をふるう

諏訪貴子社長
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東京都の大田区というと
新宿とか渋谷といったところとは違い
下町の風情のあるところで
町工場というのもたくさんあるのですが
ここ最近は多くの工場が閉鎖されてしまっています。

そのなかでもダイヤ精機は今でも活躍していますが
そこの女社長の諏訪貴子さんのおかげであったりします。

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生年月日は1971年5月10日であり
出身地は東京都大田区になります。

実家はダイヤ精機という町工場をしていて
自動車メーカー及び各種部品メーカー向けの
金型・ゲージ・治工具の設計・製作・製造を行う
一貫加工メーカーという位置づけでした。

社長はお父様である諏訪保雄さんでしたが
お父様の意向で彼女は成蹊大学工学部に進学して無事に卒業。

ユニシアジェックス(日立オートモティブシステムズ)という
自動車部品メーカーに入社して2年間エンジニアとして勤務していましたが
そこで旦那さんと知り合って結婚し

1997年出産を機に退職することになります。

しかし翌年にはお父様の要請があってダイヤ精機に入社して
総務担当になるのですが会社の経営はかんばしくなくて
リストラを提案するも、彼女自身がやめるようにと
社長であるお父様からいわれてしまい入退社を2回することになってしまいます。

社員の人とは幼い頃から面倒をみてもらったりして
親しかったこともあったのですが
それでもリストラといった方法はつかわなければ
いけないくらいに大変だったのでしょう。

旦那さんはユニシアの仕事で転勤となって
長男といっしょにアメリカにいこうとしていたのですが
しかしそのときにお父様がお亡くなりになってしまって
32歳で専業主婦から社長という立場になりました。

社長になったのはベテランの社員から担ぎ上げられたところがあり
当時会社の後継者といえる人間がいないことで
銀行からは合併をすすめられたりもしてたために
彼女をとりあえず後継者にして社員があとは勝手にやろうと
かんがえていたようです。

しかし彼女は社長になったからには自分でやっていこうと考えて
父親の真似はせずに独自のやり方を押し通すことになります。

社長就任1週間で、先代社長である父親にに却下されたリストラ案を実行し
営業、製造、設計の3部門のうち、不採算の設計部門を解散して
3人のエンジニアを解雇、運転手と秘書も解雇することになりました。

社員は反発することになりますが
会社のために社長の権力を使って
自分のやりかたを押し通していきました。

「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれるほどのやり手社長として
評価もされるようになり
そのやりかたは間違っていなかったといえます。

多くの会社は今までのやり方を改善することなく続けていき
すこしづつ崩壊にむかっていたりしますが
リストラなどを断行した彼女はすごかったといえます。

なにかを変えるときはかならず反発がおき
彼女の場合はおしめをかえてくれたベテラン社員なんかもいたから
改革は一般的なものよりきつかったことでしょう。

心を鬼にしてでも改革した
彼女の勝利であるといえます。

町工場はちいさくて弱い存在のように見えますが
繊細な技術をもっていてそれは海外でもおどろかれるくらいのものですが
経営をしっあkりとできずに技術がありながらもつぶれてしまうとこともあったりします。

ものづくり大国日本を支えてきたその技術が
彼女のような社長に守ってもらいたいなと
そう思います。

家族

お父様は社長で旦那さんは元同僚。

社長就任となったために旦那さんの住むアメリカに
わたることはなくなりましたが
離婚したということではありません。

一度2010年5月に有石貴子から本名である
諏訪貴子に名前を戻しましたが
これが離婚疑惑につながっているように感じます。

今では旦那さんとともに日本で暮らしていて
息子さんはアメリカアラバマ州に留学をなさっているみたいです。

家族で暮らしていたときは1日6回も食事をつくったりして
主婦業と社長業を見事に両立していました。

働く女性を応援しているところもある彼女ですが
そういったことをしてきた敬意があるのですから
説得力が違います。

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