池田貴族の肝細胞癌の闘病生活。心霊写真がとれる霊感の持ち主も予言できず

池田貴族

大生前葬というライブは
今でも伝説になっていますが
それを行ったのは

末期のがんに侵されていた
池田貴族さんでした。

破天荒であり
霊感が強いことでも知られていた彼ですが
癌との闘病生活は
かなり壮絶なものだったといいますね。

画像引用:http://www.sankei.co.jp/yuyulife/mukiatte/200803/mkt080320002.htm

1999年12月25日のクリスマスの日に
肝細胞がんのために
36歳という若さで
お亡くなりになることになりました。

最初にがんになったのは
1996年。

お母さまが上京してきて
貴族さんの顔をみたところで
「どこか悪いの?」と
きいたそうです。

それで心配になり
検査をしたら
肝細胞がん」と
告げられることになります。

地元の名古屋に戻って手術し
肝臓の4分の1を切除することに。

当時のステージは3で
5年生存率は50%

当時は33歳でした。
この年齢でがんになるとは
なかなか思いませんね。

貴族さんは手術後
どんどん回復していくことになり
池田さんとのちに奥様になる
一美さんは安心しきっていました。

→→奥様の池田一美さんについて

ところが10か月後の定期検査後に
貴族さんは帰ってくるなり
「ごめん。再発した」という言葉を
放つことになります。

言葉は軽く感じますが
2人で抱き合って泣くくらいに
ショックな出来事です。

ステージ4aにまでなっていて
貴族さんは今後のことを
心配することになります。

奥様には新しい命が
宿っていました。

再手術は成功し3週間で退院するものの
貴族さんは家では泣き言ばかりいう日々が
続くことになります。

「そんな人の子供は生めない」と
奥様が言い放ったことで
その後は弱音を吐かないことに。

とはいっても奥様自身も精神的にかなり参っていて
看病を拒絶し病室から逃亡したなんてことも
あったりしました。

2人の間にはやがて女の子が
誕生することになります。

出会いと結婚記念が七夕であり、それでお子さんの名前は
美夕(みゆう)」と名づけることになります。

お子さんの誕生で貴族さんは「美夕が3歳になるまでは生きたい」と
言ったりすることになりますが
美夕さんが3歳だったら記憶に残るだろうという
考えがあったからでした。

美夕さんはアイドルになっていた!

その後も
「授業参観に行かなきゃ」とか、
「女の子だから、20歳までは見守らなきゃ」と言っていて
本当になくなるとは
思えない状態でしたのに

3度目の再発に。

肝臓のがんは70個くらいに増えていて
手術はもはやできない状態に
なってしまいました。

そんな中でも仕事は好調であり
奥様は貴族さんを
ただただ見守るしかできなくなります。

みうらじゅんさんのプロデュースで
シングル&アルバム「MiYOU」を発売。

さらに地元名古屋で
「大生前葬」といった
伝説のライブを行うことになります。

名古屋国際会議場で行われ
母校千種高校の後輩にあたる生徒たちや
先輩にあたる舘ひろしさん
友情出演。

がんで満身創痍の体で
ライブを大成功させることになりましたが
99年12月25日に亡くなることに。

 

霊感

池田貴族さんといえば
心霊研究家としても有名でありました。

霊感能力があり霊能タレントとしても
活動していくことに。

父親が真言密教の霊能師をしていて
母親も強い霊感を持っていたために
自身もそういったところを
受け継いだのでしょうね。

お母さまが貴族さんの病気にいち早く
気づいたのは実の息子のことだからというもの
だけでなく
霊感も関係していたからかもしれません。

未来を予言できるともおっしゃっていた彼ですが
99年以降の未来は見えなかったそうです。

そのために自分の最後をしったのかも
しれませんね。

大規模なライブをおこなうことになったのは
そういう理由もあったのかもしれません。

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