桐島洋子の元夫や子供、孫。家系も実家もお金持ちで三菱財閥系も出産後育児放棄!?

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有名人ともなると一般の人からみるととんでもない
破天荒な生活をしていて
驚くばかりであるのですが
桐島洋子さんもなかなかの破天荒な人生を歩んでいて
そのなかで子供がしっかりと育ったのには
びっくりしてしまいます。

江角さんの元夫が霧島さんの息子であったり
家系にはかなりの大物がひしめいていますね。

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1937年7月6日が生年月日であり
出身地は東京都になります。

祖父と父親は日本人なら誰でも知り
日本史の教科書でも習う三菱財閥に務めていた人であり
お父様は祖父の命もあって就職先を選ぶことになりました。

祖父が亡くなって縛られる必要のなくなったお父様は
家族とともに上海に渡って新聞社を設立することになりますが
しかし日本が戦争で負けて帰国することになってからは
お父様は仕事に就くこともできずに
極貧生活を送ることになりました。

神奈川県葉山で生活をするようになり
清泉女学院中学、都立駒場高校卒業のあとは
文藝春秋新社(後の、文藝春秋社)に入社して
20歳で雑誌「文藝春秋」の記者となることになります。

ダイビングを趣味としていたことで
奥様のいた26歳年上のアメリカ人の退役海軍中佐と
熱愛となったのですが

結婚することはなく
未婚のままで現在は女優や歌手として活動することになった
桐島かれんさんを妊娠することになりますが

会社を辞めるという選択肢はとることはなく
大き目のブラウスをきて出勤して
だれにもばれずに出産するという荒行を
成し遂げました。

その後長女は知人に預けることになり
その後またしても次女でエッセイストになる
桐島ノエルさんを妊娠。

また長期休暇をとるなどして会社にばれないようにしようとしましたが
業務が忙しくてそれができず退社してフリーのライターとなります。

「出産休暇」で2ヶ月のヨーロッパ旅行にでかけることになり
「船上出産は医療費がかからない」ため、
マルセイユから帰国の船にのり、到着直前のクリスマスの朝に
ノエルさんはうまれることになります。

クリスマスが誕生日となったノエルさんですが
しかし長女と同じように知人に預けることになり
これらのことは育児放棄といわれるように
なってしまいました。

まったく育てていないわけではないのですが
まわりからはそうみえてしまうのでしょう。

今度は愛人がベトナム行きの船の船長になったこともあり
戦争下のベトナムに赴くことになって書類を偽造してプレス・パスを入手し、

「従軍記者」として戦地を取材することになるのですが
そのときに長男でのちに写真家となって江角マキコさんの元夫ともなるローランドさんを妊娠し
帰国後に出産して愛育病院にあずけることになりました。

愛人であった子供達の父親は最初の妻と離婚後に別の女性と結婚することになったこともあり
愛人との関係を清算するためかれんさんを連れてアメリカへのりこむことになり
そこではいろいろな職業につくことになりました。

ロスアンゼルスで新しい恋人ができ、
子供を全員呼んで一緒に生活することになり

「破天荒なシングル・マザー」としての経験を書いた
自伝的エッセイ『「渚と澪と舵 ふうてんママの手紙」)を1970年に刊行することになります。

子供達に対しての遺書という意味合いもあったのですが
それがまたたくまに受けてファンを得ることになりました。

その反面批判も多数受けてしまうのですが。

ファンレターが日本から多数届くことにより
このことを機に日本で文章を書く仕事をすることを決意して
帰国することになり

クロワッサンなどで執筆活動をしていくことになりました。

その後は1982年に12歳年下の美術鑑定家で
エッセイストの勝見洋一さんと結婚して
お互いにあまり干渉しない夫婦関係を
築いていきました。

まともな結婚をしていないように感じますが
生き方には正解というものがありませんので
桐嶋さんのような生き方も
ぜんぜんありだと思います。

お子さん達も立派な方になっていき
子育ての正解というのも
本当はないのかなっておもってしまいます。

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