鐘ヶ江管一は脳梗塞の病気も今現在は克服!付けヒゲで雲仙普賢岳噴火対応。実家は旅館だった

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雲仙普賢岳が1991年に噴火したときは
大きくニュースに取り上げられることになりましたが
そのときに長崎県島原市長として

その手腕をふるっていたのは鐘ヶ江管一さんでした。

政治家の堕落が叫ばれて久しいですが
いざというときにしっかりと対応できる方は
とてもすばらしいですね。

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生年月日は1931年1月22日と戦前生まれであり
出身地は島原市になります。

島原の乱なんかで有名な歴史のある街にうまれて
旧制島原中学(現在の長崎県立島原高等学校)に進学しますが
学制改革のときに中退してしまうことになります。

学校を辞めた後は実家が
旅館「国光屋」を経営していたこともあり

家業にかかわることになりました。

この国光屋は西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)の島原キャンプの定宿として知られており

その縁があって
仰木彬さんや稲尾和久さん、豊田泰光さん、中西太さんなど当時のライオンズの選手と
親交をもつようになりました。

地元の実力者でしられて知名度もあったことで
1980年に島原市長に当選して1992年までの3期12年務めることに
なりました。

1991年には雲仙普賢岳の噴火で土石流が発生することになり
テレビなどでおおきくとりあげられて
その悲惨な惨状を全国の方々がしることになります。

テレビにうつっていたのは市長が自ら災害救助活動や国への陳情に奔走していた姿であり
目立つヒゲがついていて「ヒゲの市長さん」
という名前で有名になることになりました。

「復興するまでヒゲを剃らない」という発言はとても有名であり
市長というトップの人間が
自ら動くその姿勢は多くのひとに
感動を与えることになりました。

ただヒゲは実はつけひげだったようであり
一部の人からは批判なんかもあったようです。

宮崎県のセールスマンとおっしゃった県知事が過去にはおられましたが^^
島原という教科書にでてくるような町を再度
眼を向けてもらえるように考えた
パフォーマンスだったのかもしれません。

ヒゲの効果は確かにありましたので
批判する必要はまったくありませんね。

市長を辞めた後は
2001年には勲四等瑞宝章を受章
2002年からは雲仙岳災害記念館の名誉館長になるなどしていて

噴火の体験を生かして講演会をしていたりと
活動することになります。

2012年には81歳になったということもあって
脳梗塞という病気にかかってしまうことに
なってしまうのですが

1年後には講演活動を再開していたといいます。

市長という職をやめたあとも
しっかり働いているその姿は
災害のときとかわらない感じがして
すばらしいなって思います。

精力的にがんばっていたら
病気もどこかにいっちゃうんですね

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