河野博文の嫁広子が乳がんで余命宣告!子供は?現在は居酒屋・農業を。

河野博文 嫁

中継ぎ投手というと、先発や抑えより目立たないところが
あったりするのですが

試合を組み立てるのにはなくてはならないものです。

そういう中継ぎ投手を評価するために
最優秀中継ぎ投手という投手タイトルがあるのですが

勝つのが難しいといわれる読売ジャイアンツに在籍していながら
初代最優秀中継ぎ投手となったのが

河野博文さんになります。

失踪や清原和博さんとの関係について

生年月日は1962年4月28日であり
出身地は高知県になります。

今現在は明徳義塾となっている
明徳高校に進学しますが

当時はまだ学校自体が甲子園に出場を
果たせていないときでした。

駒沢大学に進学してから大活躍し
3年生時に出場した日米大学選手権で14奪三振の当時の大会記録をつくり
最優秀投手となって

秋は3試合連続完封勝利を含む6勝0敗、防御率0.90で最優秀投手とベストナインに。

4年生秋は4勝0敗、防御率1.40で2度目の最優秀投手とベストナインに選ばれることになります。

東都大学リーグ通算34試合登板で15勝3敗、防御率1.91、132奪三振を記録して
1984年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズに1位指名で
入団することになりました。

1年目から早くも1軍登録されて
1988年には先発とリリーフ兼任で防御率2.38
で最優秀防御率を獲得しました。

95年にはフリーエージェント権を行使して読売ジャイアンツに移籍し
1年目の序盤は2軍で調整することになり

中盤に一軍に上がってから初めてリリーフ専任で7月の月間MVPになりました。

その後は調子を落としていくことになり
2000年に千葉ロッテマリーンズに移籍して
プレーしましたがこの年で引退することになります。

引退後

2008年から2009年まではベースボール・チャレンジ・リーグである
群馬ダイヤモンドペガサスでコーチをするなどしていましたが

野球に関する仕事はあまりなく
今現在は農業をなさったり居酒屋をやっていたり
しています。

群馬県高崎市で農業を営むことになったのですが
そこでは「げんちゃん玉ねぎ」といった

ブランド化してしまっている作物を
育てることになりました。

そのたまねぎで作るげんちゃん餃子といったものなんかも
好評であり

食品加工会社「げんちゃん」を設立して
事務所に販売所を設けたりして
しっかりと商売なさっていますね。

平行して居酒屋も経営しているのですが
げんちゃん農場直営居酒屋大喜屋げんちゃん」というもので
新鮮な野菜をつかった

そのお店はとても好評のようで
なによりです。

すばらしい野菜をすばらしい料理にしてくれるのですから
いうことなしですね。

場所は高崎市筑縄町というところにあり
2015年8月から営業しています。

過去に「壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった」という番組で
彼の農業生活が取り上げられることになったことがあったのですが

関係者の方が
「プロの世界でやってきた人間が
その経験をいかして農業を取り組むことは
農業の世界にとってもプラスである」

というようなことをおっしゃっていたのが
記憶にあります。

農業の世界は自然相手の厳しい世界であり
プロの打者を相手にしてきた河野さんは

スランプなんかも経験していて
そこから這い上がったりもしているために

普通の人以上に精神力もあるので
そのエネルギーを使えば

どのような分野でもやっていけると
おもいます。

その関係者がいっていたように
今では本当にいい方向に進んでいると思います。

家族

奥様は広子さんといい
子供は娘さんが2人いらっしゃいます。

残念なことに奥様はすでにこの世には
おられません。

奥様とは大学時代からの知り合いであり
のりにのっていた時期である1991年にめでたく結婚。

プロ野球を引退したときは
就職などの問題もありましたが

奥様のツテもあってめでたく転職することができますが
3年目の時には奥様が乳がんにかかっていたことが判明してしまいます。

抗がん剤の副作用はとんでもないものであり
介護する河野さんも奥様の苦しむ姿をみるのが

とてもつらかったと語っています。

介護の甲斐もあって奥様は調子を取り戻すことになるのですが
その頃に上記に記載したチームへのコーチ就任を
打診されることになりました。

奥様のおかげでできた就職であり
介護のこともあり難色を示していましたが

奥様は河野さんの野球熱が冷めてないことをしっていたために
コーチ就任を後押しすることになりました。

そしたら次は広子さんのがんが腎臓に転移してしまい
河野さんは医者から余命1ヶ月だということを
宣告されてしまうことになりました。

最後のほうは会話もできない状態であり
41歳という若さで奥様を失ってしまうことになります。

奥様は体調が悪いことを
河野さんが野球に打ち込む邪魔にならないために
隠していたためにそういうことになってしまいますが

河野さんにとって奥様は本当に
なくてはならない存在であったことがよく分かります。

その後コーチとしてチームを地区優勝にまで導くも
資金難で解雇というやりきれない状態になってしまって

なにもかも捨てたくなるくらいにまで
精神的に追い詰められるのですが

なんと広子さんは河野さんのために貯金していたの
でした。

自分のことをここまで思ってくれる亡き奥様のために
体にいい作物をつくる農業に興味をもって
タマネギ農家で修業する日々を

貯金を切り崩しながら送るのでした。

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