松島トモ子は今現在も思う!父と母親との壮絶過去・生い立ちはライオン以上・・・

松島トモ子
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松島トモ子さんの名前を聞いたときに真っ先に連想するのは
ライオンに噛まれたことかもしれませんが
しかし彼女のことをよく調べてみると
それ以上と思えるくらいに大変な生い立ちというか過去が
あったんですね。

ライオンだけでなくヒョウにも襲われながら
その後も動物がすきといっていた彼女は
過去がすさまじかったからこそ
動物の思い出がちっぽけなものに
感じたのかもしれません。

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画像引用:http://www.cocokarada.jp/column/interview/vol10/

お父様は今でも有名な大企業である
三井物産のタイのハジャイ出張所所長という立場にもついていた
高橋健さんという方になります。

お母様は志奈枝さんといいますが
彼女のマネージャーをしていたことでも有名で
テレビで共演したりもしていました。

トモ子さんが生まれたのは満州であり
そのときはそばに父親はいませんでした。

お父様とお母様は結婚生活半年で
離れ離れになってしまうのですが
その間に妊娠することになったんですね。

第二次世界大戦も末期のことではありましたが
お父様は満州の奉天で招集されることになり
戦争に旅立つことになりました。

お父様は妊娠していたお母様を気遣って
見送りといったものを拒否したりしますが
お母様はそれでもそっと見送ったといいますね。

古きよき女性像が思い浮かびます。

サヘルローズさんの生い立ちもすごいと話題に!

そして2ヵ月後にトモ子さんが誕生しますが
そのすぐ後にソ連軍が満州にせめて来ることになり
多くの人々は逃げることになるのですが

志奈枝さんはそんな中でとどまるという選択肢を
選びました。

トモ子さんはまだ幼いというか赤ちゃんであり
いく当てのない避難生活に巻き込むことで
なくなってしまうことを懸念したからだといいますね。

そしてその場を離れたらお父様と連絡がとれなくなるという
心配もしていたそうです。

戦争は終わることになり
ソ連軍の代わりに中国共産党軍が入ってきて
その大佐夫人だった人の世話をすることで
生活をなんとかしていけるようにしました。

そのころお父様はソ連軍の捕虜となり
シベリアに抑留されてしまいます。

45年10月になると北にある満州は氷点下30度まで下がってしまうところであり
多くの赤ちゃんは耐え切れずに
亡くなってしまったりしたのですが

トモ子さんはそんな過酷な状況にあっても
元気で乗り切ることになりました。

そして46年5月には帰国することになったのですが
中国の食料品店経営者が
売ってくれるように頼んできたといいます。

めちゃくちゃなことをいわれているようですが
しかし今とは違って劣悪な環境のなかで長旅をすることになり
日本も焼け野原状態だったために
多くの日本人はこういった誘いに乗って
泣く泣く子供を手放したりしました。

中国残留孤児というものですが
先の見えない中にあって
わが子だけでも確実に生きてもらうために
そういう選択肢をとっても批判することはできませんね。

お母様は断固として拒否することになりますが
孤児のニュースをみたりしたときは
そういった方法も仕方がなかったんだろうと
しみじみと語っていたみたいですね。

そして帰国した後はお父様の帰りを待つことになりますが
戦友だった人が引き上げてきたときに
亡くなったお父様を埋葬した話をしたために
希望が消えてしまいました。

45年10月29日がその日だったんですが
トモ子さんとお母様がまだ満州にいたときですね。

帰国してすぐに石井漠舞踊研究所に入所し
幼くして芸能界デビューをはたしますが

お母様はずっとマネージャーとして
トモ子さんを見守っていきました。

ここまでの出来事はトモ子さんが幼いころなので
はっきりとは覚えていないかもしれませんが
お母様からお話を聞く機会というのはたくさんあったかと思います。

こんなめにあっておいて
ライオンやヒョウと絡むのはなぜだとも思ってしまいますが

過酷な環境を乗り越えてきたために
なにがあってもなんとかなると考えたのかも
しれませんね。

志奈枝さんは2016年で96歳になるのですが
今でも年齢の割にはとてもお元気で
おしゃれにも興味をもっていたりするようです。

あの過去があって生き延びたために
すでに亡くなったものと思って
人生を精一杯楽しみまくろうと
してるような気もします。

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