渡辺和子の夫や子供は?うつの過去があり父は渡辺錠太郎で二・二六事件に。

「置かれた場所で咲きなさい」という本を出版し
100万部を超えるベストセラーになることに成功した
渡辺和子さん。

教科書にも載っている事件に遭遇する不幸な過去をもちながら
その後はシスターとして多くの方の心を救うことに
なりました。

北海道旭川市で生まれ
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)を経て
聖心女子大学卒業、上智大学大学院(西洋文化研究科)修士課程修了と
いった学歴を持つことになりました。

終戦の年である1945年の18歳でキリスト教の洗礼を受けることになり
29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会して
アメリカに留学。

ボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得し、
9月にノートルダム清心女子大学教授に就任することになって
1963年に36歳という異例の若さで岡山県の
ノートルダム清心女子大学の学長に就任することになりました。

1990年に退任して
日本カトリック学校連合会理事長になるなど
活躍なさっていました。

家族

お父様の渡辺錠太郎さんは陸軍軍人であり
陸軍大学校を首席で卒業したエリートでありました。

天皇機関説といったものを擁護したとかいわれていますが
そういったことが青年将校から反発を招くことになり
二・二六事件の犠牲者となってしまいます。

教育総監という立場だったそうですが
若くてなにものにも縛られたくない若者には
受け入れられない存在だったのでしょう。

当時小学校3年生だった和子さんは父親の最後を目の前でみることになってしまい
その衝撃はながく心に残ることになってしまったでしょう。

身内が子供のころになくなるだけでも十分ショッキングなことですが
こういった最後は精神を病む原因にもなってしまいます。

シスターとなったのはこういった経験といったものが
起因しているでしょう。

ちなみに結婚はしたというような話はなく
夫も子供もいないとおもわれます。

すぐに忙しい身となり立場を与えられていますので
家族をつくるといったことも
できにくかったからしょうがないことですね。
しかし家庭ではなく他人を多く救ってきていますので
心は充実していそうですね。

うつ

1977年にはうつ病に悩まされることになってしまいます。
とんでもない若さで学長といった立場をあたえられて
責任のある仕事に長く従事していれば
精神が追いつかないということにはなってしまうでしょう。

大学のあった岡山県もはじめてきた場所であり
学内でも風当たりはかなりつよかったといいます。

年上で経験豊富な人と上の立場で接しないといけないのは
くるしいことだったとおもいます。

「置かれた場所で咲きなさい」
人は自分の望んでいないところにおかれるといったことは
多々あるとおもいます。

最近の若者は特にそうだといわれますが
環境に文句をいって、かといって新しい場所にいかなかったりして
そういうこともありニートといったものも増えていたりします。

しかしどんな場所であってもそこで一生懸命やり結果をだせば
その後の人生が変わってくるといったことはあるでしょう。
ご自身の過去の経験を通してこの本は出来上がったといえます。

文句を言っても始まらないから
とにかく目の前のことをしっかりやらないと
先に進めないということをいわれている気がします。

関連記事


Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/sandondon/konnyataku.com/public_html/wp-includes/class-wp-comment-query.php on line 399

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る