盛田幸妃の嫁倫子の今現在。彼の弟や父親、子供、脳腫瘍や全身骨折の壮絶過去について

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日本プロ野球が世界でも戦えるということが知られてから
昔とは違った人気を持つものとなりました。

プレーといったものもいいのですが
選手の生きざまなんかも
感動できて本当に素晴らしいと思います。

苦労した末に華やかな生活をするようになった人もいれば
ひたすら苦労続きといった人もいます。

盛田幸妃さんは後者になります。
一時期は病気から奇跡のカムバックを果たすものの・・・

闘病はつらく奥様も
悲惨な状態に落ちることになりました。

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画像引用:http://withnews.jp/article/f0151016002qq000000000000000G0010501qq000012628A
 
突然亡くなった木村拓也選手について

盛田幸妃選手は
函館大学付属有斗高等学校卒業後に
横浜大洋ホエールズ(横浜ベイスターズ (1988 – 1997))
近鉄バファローズ(大阪近鉄バファローズ (1998 – 2002))

と渡り歩いています。

高校時代はなんと3度の甲子園出場を果たすことになり
1位指名で大洋ホエールズに入団。

中継ぎ投手でありながら
最優秀防御率のタイトルを獲得したりし
大魔神佐々木主浩選手とともに
「ダブルストッパー」としてチームを支えていました。

監督から給料はすべて彼にやれといわれるくらいの
存在でありましたが
怪我もあり成績は低迷。

中根仁選手との交換トレードで近鉄バファローズに移籍してからも
怪我に苦しむことになって
1軍登録抹消。

さらに悲惨なのは
脳腫瘍が発見されて摘出手術を受けるものの
長い闘病生活にはいって
選手復帰は絶望的だと
言われることになってしまいます。

嫁・子供

闘病生活を見ていく前に
奥様や子供についてみていきましょう。

奥様は盛田倫子さんというお方です。

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画像引用:http://music-book.jp/video/news/news/120070/img-2

彼女は結婚する前までは
日本航空のキャビンアテンダントとして
働いていたキャリアウーマンになります。

20代の時に2人は出会って
結婚することになります。

そして倫子さんはCAを退職。

当時の幸妃さんは大活躍中で
稼ぎもよかった頃なので
退職しても資金面では問題なかったのですが

しかし旦那さんの怪我や脳腫瘍といったものに
出くわすことになってしまいました。

しかし離婚といった選択肢はとらずに
夫を必死で支えていくことになります。

2人の間にはお子さんはできなかったようですが
そこには旦那さんの体が
関係していると思っていいかもしれません。

闘病生活

近鉄に移籍した1998年、
右足首の違和感や麻痺などに苦しめられて
検査の結果

ゴルフボール大の髄膜腫(良性の脳腫瘍)が。

幸妃さん実は検査するまでは
自分の体がそれほど悪いものだとは思っておらず

検査結果をガムを噛みながら
聴いていたといいます。

しかし結果を知って
奈落の底に突き落とされました。

摘出手術を受けた後は
リハビリをすることになったのですが
自分の体が思うように動かないことに
腹を立てて奥様なんかに
かなり当たったようですね。

どんどんふさぎ込むようになり
誰も見ていないところでこっそりと
リハビリを行っていたという
話もあります。

入団して早い時期に結果を出したことにより
鼻持ちならない性格になり
まわりを見下すようなこともしていたそうですが
脳腫瘍のために自尊心を傷つけられて
精神的にも崩壊していったのかもしれません。

しかし奥様とともにそんな中でも
リハビリにしっかり取り組むようになり
他の患者さんとも接していくうちに
彼自身も変わっていくことになりました。

他の人が歩けるようになったりすれば
自身のことのように喜んだりして
人間的にも成長していくことになります。

そして自身のマヒも克服していき

1999年8月には二軍戦に登板。
最終戦では1軍登録もされることに。

2001年には勝利投手になるなどし
チームの優勝に貢献。
オールスターゲームには中継ぎ投手部門で
ファン投票1位で選出され
カムバック賞を受賞。

2002年9月25日には現役引退を表明し
10月6日のオリックス・ブルーウェーブ戦引退試合では
5年振りに先発します。

引退後は球団職員として横浜に復帰。

現役引退後

球団職員として勤務しながら
TBSラジオ専属の野球解説者としての仕事もしていました。

また自身が北海道出身ということもあり
北海道放送(HBC)のテレビ・ラジオ中継のゲスト解説者として
客演することもありました。

高校があった函館で例年2日間開催される
北海道日本ハムファイターズの主催試合で
HBCラジオで解説を務めたりし

2010年から3年間は年末にHBCラジオ「ファイターズDEナイト!」と
タッグを組んだ特別番組「盛田DEナイト!」を放送
していたりもしてました。

ただ、彼には引退した後も
病気やケガにつきまとわれることになります。

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画像引用:http://ameblo.jp/morita21/entry-11691199902.html

2005年の夏に脳腫瘍が再発。
翌年2月に除去手術が成功するものの
2010年に脳腫瘍の転移した骨腫瘍が。

さらに2013年には脳腫瘍が再発して
骨への転移と手術を繰り返すことになります。

2014年の春に大腿骨を骨折。

晩年は脳腫瘍の再発4回、転移12か所、全身骨折9か所
というボロボロの体で過ごすことになり

2015年10月16日午前に転移性悪性腺腫により
45歳の若さでお亡くなりになります。

ラジオなんかで活躍していた裏では
壮絶な闘病生活があったんですね。

選手時代の闘病生活は知られていたりしますが
晩年のものはあまり知られていなかったりします。

元々CAだった奥様は
今ではアルバイトをしながらすごしているそうであり
経歴から見ると落ちぶれたと思われるかもしれませんが
愛する人の病気を支えたことは
誇らしいことかもしれません。

その他家族

実は幸妃さんのお父様と弟さんも
悲惨な目にあっていました。

彼が5歳の時に
実の弟をリンパ肉腫で亡くすという
経験をしています。

弟さんが亡くなった後には
遊んでいたおもちゃが残ることになったのですが
その中にはグラブがあり
それで遊んだことが
野球生活の原点になったそうです。

あとお父様は漁師として働いていたのですが
出漁中に虫垂炎にかかり大洋漁業の船に収容され
一命を取りとめるということがありました。

後にその大洋にドラフト指名されたときには
「今度は僕が助ける番」といったことは
話題にのぼったそうです。

因果なものですね。

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